見る→見せるツールとしてのiPad
iPad(16GB Wi-Fi)を買ったのでご報告。いろんな人がiPadについて書いたりしゃべったりしていると思うので、ここでは細かい使用感などは省いて、ごく私的な感想をいくつか。

購入は発売日当日、アップルストア渋谷の行列に並んで手に入れた。予約はしてなかったから、すごく待ち焦がれていたというわけでもなかった。とはいえ、アップル製品のファーストリリースを発売と同時に買うのはこれが初めて。狂騒に近い奇妙な期待感に煽られつつ、製品にこめられた新しさもメッセージとして受け止めつつ、気付いたら手にしていた、という感じでもある。
すでにiPod touchの64GBを持っていたので、どちらかを全く使わなくなってしまうことを心配していた。しかし、しばらく触ってみると画面の大きさの違いだけでなく、それぞれに長所があって、全く別の使い方をしていけばいいのだということがわかってきた。とりあえずiPod touchにはこれまで通り音楽を入れて通勤用に、iPadには音楽とiPhoneアプリ(表示が小さくなってしまう)は一切入れず、iPad用のアプリと書籍データだけを入れて使い分けることにした。こうやって両者を分けることで、iPadならではの使い途がより明確に見えてくるのでは、という思惑もある。
実際に触ってみて、世間で注目されている「見る(読む)」機能にとどまらない、「見せる」ツールとしての面白さを感じた。「見る」は、携帯やゲーム機、PCなど既存のデバイスでも実現可能だし、基本的に一人の楽しみの範囲に限られていた。これに対して「見せる」は自分一人に限らず、周りの人々を巻き込んで広がっていく可能性を含んでいる。iPadのどこから見てもフラットなスクリーンは、自分に向ければパーソナルなデバイスになるし、他人に向ければ恰好のプレゼンテーションツールにもなる。テーブル上で複数の人間でiPadを囲むような使い方もできる。そこが個人の読書専用ツールに過ぎないKindleとの根本的な違いともいえる。
こうしたiPadの特性を最も早く引き出して見せたのが、Youtubeでも話題になった「iPad Magic」の映像だった。
バカバカしいけどなんとなく想像したのは、ボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」のPVみたいなことをiPadでやるミュージシャン/パフォーマーが、今年確実に現れるだろうなということ。自分が最近かかわる子どもの分野では、紙芝居なんかもこういうやり方でできるかもしれない。ぼく自身は子どもに早いうちからiPadやDSのようなデバイスを与えてしまうことには反対だけど、教育現場など大人が主導する形で、iPadのような開かれたツールが日常的に使われる機会が今後は増えていくのではないか、と思っている。個人的にいろいろトライしてみたいアイデアも浮かんできたし、アップルが言う「革命的で魔法のようなデバイス」という売り文句もあながちウソではないかも、とすら思えてくる。

