コメント欄について
きのうの夜、匿名の方からコメント欄についての質問がコンタクトフォーム経由で届きました。内容は、なぜブログのコメント欄を閉じているのか、ブログの読者とコミュニケーションをとりたくないのか(←実際は丁寧な口調で書かれています)、そして最後は「デザインとは、コミュニケーションのお仕事ではないのでしょうか。」という一文で締めくくられていました。深夜一人で仕事をしていたところだったので、メールを開いたときかなりドキッとしてしまいました。こういうパブリックな場所で答えるタイプの質問ではないのですが、事情もあって(後述します)あえて答えてみたいと思います。
本ブログのコメント欄は、ときどき気分によって開く時期がありつつも、基本的にはずっと閉じた状態にしています。それが好みだから仕方がない、と言ってしまえば身も蓋もないのですが、コメント欄という場所でやりとりされるようなことにあまり価値を感じていないし、多くを期待していない、そもそも苦手、というのが実感としてあります(たくさん届くスパムコメントも含めて)。
それと、これはコミュニケーションについての考え方の根幹に関わることですが、コミュニケーションとは開かれた場所での直接的・双方向的なやりとりだけを指すものではない、というのがぼくの考えです。たとえば一方的に「読む」「見る」という形で成立するコミュニケーションだってあるかもしれない。村上春樹が『1Q84』という大作の小説を数年をかけて書いて出版し、それを多くの読者が手にとってじっくりと読む。村上さんと読者は直接的な言葉を交わしたりはしないけれど、そこには「(書く/)読む」という一方的な行為を通して得られる、とても密度の濃いコミュニケーションが存在するとぼくは思っています。きっと、この小規模なブログにも数少ない読者の方がいらして、時々更新される仕事や平凡な日々のことを読んで何かを感じてくれたり、これから行くかもしれない展覧会のリストから自分のカレンダーに予定をピックアップしてくれているかもしれない。そんなふうに想像するだけでぼくには十分なのです。だから、ブログのコメント欄を閉じることがすなわちコミュニケーションの断絶である、みたいにはそもそも考えていないのです。
「デザインとは、コミュニケーションのお仕事ではないのでしょうか。」……まったくその通りだと思います。直接言葉を交わすのはもちろんのこと、上記のような一方的な形(ある種の音楽系の仕事では、歌詞と音源だけを渡されて、プロファイリングのようにイメージを読解しながら、ヴィジュアルを形にしていくこともあります)も含め、さまざまな種類のコミュニケーションを駆使して仕事をしています。そして、いうまでもないことですが、それと本ブログのコメント欄の有無はまったく別の話だと思っています。ひとつ残念だったのは、その質問者の方のメールアドレスがaaa@aaa.aaとなっていて、直接のお返事ができなかったことです(そっちのほうが閉じているじゃん、というツッコミはさておき……)。ぼくに対してなにか伝えたいことがある方は、コメント欄こそありませんが、上のメニューのContactからメッセージを頂ければ幸いです。正しいメールアドレスを添えてくだされば、直接お返事することもできます。窓はいつでも開けてあります。最後に繰り返しになりますが、どんなメッセージよりも、ここにある言葉や画像をただ見て読んで感じていただけること、ぼくにとってはそれだけで十分おつりがくるほどうれしいのです。
△この記事が一時途中の状態でアップされてしまっていました。すみませんでした。

