書体を「選ぶ」ということ
《装幀に限らず、どの書体がきれいだとか好きだとかというのは、デザイナーがいうべきことなのか。そういう疑問がありますよね。この書体がきれいだから、好きだから使う——僕は、そうじゃないだろうと思っている。デザインって、ある目的があって、そのために頭と手を動かしていくことでしょ? 個々の現場で、個々の内容に見合った書体を、その時々で選ぶ。その繰り返しにすぎないわけですから》
『デザインの現場』2006年10月号「特集:書体の選び方」の、装幀家・菊地信義氏のインタビューより。……確かに、そうありたいとは思う。しかし写植とは無縁の、デジタルオンリーで仕事している自分にとって、書体とは「その時々で選ぶ」ものではなく、その美しさにひかれ、相応のライセンス料を支払い自分の道具として使っていくもの、ということになってしまう。そこにはどうしても書体への愛情や「好きだから」という気持ちが生じてくる。はっきり言って書体、大好き。いつもきれいな書体、はっとする書体には(その使い方も含めて)目を輝かせてしまう。いろいろ吟味して必要だと思うものは思い切って買う。そうして手に入れた書体には愛着が生まれてくる。もちろん仕事との相性は常に頭に置いているけど、好きという気持ちがなかったら高いお金を出して買う気にもなれないだろう。
そんな自分にとってちょっと困ってしまうのが、モリサワパスポートやフォントワークス/イワタのLETS……毎年3〜5万円の年間契約でその会社のフォントが全部使えるようになるシステムのこと。かつて書体単位で買ったA1明朝や毎日新聞書体その他のモリサワフォントが、その総額よりもはるかに安い金額で使い放題というのはちょっぴりくやしい。しかしよくよく考えて、そのいずれにも加入しないことにした。パスポートに加入してモリサワのフォントばかり多用し、モリサワの書体見本集みたいな仕事になってしまうのも嫌だし(そんな感じのデザインを見かけることが最近多い)。なんというか書体に対してもっと自由で、フラットでいたいのだ(その点、書体を所有せずその都度必要な分だけを注文できる、写植というシステムは実に理想的だと思う)。
デジタルフォントの黎明期からモリサワのフォントには本当にお世話になった。時代は変わり、いまはかつてのモリサワ、フォントワークスの巨頭をしのぐ勢いで、様々なメーカーやデザイナーが“使える”デジタルフォントを開発している。やっぱりぼくは素敵な本や雑貨を買うような気持ちで、それらの中から一つ一つ自分の仕事に合った書体を探していきたいと思う。
《選ぶことの中には、つねに迷いが内包されている(※「選」の偏であるしんにょうに、行きまどうという意味が込められている、とのこと)。たった漢字一文字なのに、含蓄があるでしょ?(笑)文字を選ぶことにだって、やっぱり、つねに迷いがある。この文字でいいのか。この書体を選んで、相手に伝わるのか。僕の場合、いつもそういう逡巡にさらされながら、文字と付き合ってきた。》
偉大な装幀家である菊地さんのような人からこのような言葉が出てくることが嬉しい。それでも最後に選ばれる「答え」はたったひとつ。その冷徹さ、厳しさ、重さとともに自分もありたい。本当にそう思う。
《そのとき、いちばん重要になってくるのは、見ることです。文字の歴史を見ると同時に、今、ここにある書体の具体的な表情を見る。そのふたつがあって初めて、選ぶことが可能になると思っているんです》
書体の道は険しい。

