仲俣暁生「〈ことば〉の仕事」と世代論
はてなアンテナ・サーフィン中に偶然発見したnu業務日誌というダイアリーで紹介されていた、仲俣暁生「〈ことば〉の仕事」という本に興味を引かれた。1960年代前半に生まれた、ことばを職業とする著者と同世代の人々へのインタビュー集。
その日記に引用されていた仲俣氏の
「Aでもない、Bでもない」という状態を肯定することは、たんに非決定を正当化するための身振りではなく、その両者の間をたえず移動しつづけるのだ、という意志の表明なのだ…
という発言も、この本のインタビュイーたちとほぼ同じ「重層的非決定」世代のぼくにはとてもリアルに感じられてしまう。これは決して臆病でも諦観でもなく(たぶん)この世代が、悩みに似た姿で自らの内側に醸成し続けてきた、ひとつの美質にして“覚悟”だと思う。

というわけで、早速買ってきた。丁寧で読みやすいインタビュー集で、1960年代前半世代の生き方や態度が伝わってくる。ほぼ同世代にあたる自分の今後のあり方についての参考にもなった。
学者の小熊英二さんの、
〈著述〉をしているというより、〈編集〉をしているという感覚が今も根強いせいか、主役は引用した人たちのほうであって、自分は〈のりしろ〉だと思っているところがある。
というような発言を読んで「デザイン=器」的だなと思ったりとか。
ここに登場する人々(他にも音楽批評家の佐々木敦さん、サイゾー/インフォバーンの小林弘人さんなど)だけを見て判断するわけにもいかないが、周りを見渡すにつけ、著者があとがき(⇒ネット上で読める別ヴァージョン)でも述べているように、団塊世代やその少し下の先行世代と比べて「わかりにくい」世代なのかもしれないな、とはたしかに思う。
「季刊・本とコンピュータ」の連載が元になっているためか、コンピュータと各人の仕事との関わりについての言及も多くみられた。
たぶんぼくの世代が、コンピュータ(マイコン/パソコン/ビデオゲーム)と多感な時期に接触した最初の世代だと思う。YMOと初めて遭遇したのも中学時代。この頃最初の“マイコン”TK-80にも触っていた。友人たちの家にはApple IIやPC-8001があって、よく入り浸ってはBASICのプログラミングやゲームをして遊んだものだった。実際いまでもデザインのことを、コンピュータを使ったゲームみたいにとらえて楽しんでいる部分もある。
コンピュータがぼくに与えた影響は実はとても大きい。これはこの本の意図とは外れたところでの意外な発見だった。

