宮沢章夫「東京大学「80年代地下文化論」講義」

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 一昨日買った、宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』
 ピテカントロプス・エレクトス〜スネークマン・ショー〜YMOに見る80年代の美学。ニューウェーブ。西武セゾン文化から森ビル(ヒルズ)文化へ。いとうせいこう。モンティ・パイソン。おたく。コミケ。ゼビウス。岡崎京子……。面白かった。

 ある特定の人々が通過し経験してきた文化や出来事について語ることは、とても意義のあることだと思う。たとえば、おばあちゃんの戦争体験とか。それをノスタルジーとは決して思わない。
 だからこの本についてもノスタルジーとしてではなく、(自身もかつて通り過ぎた)ある時代のサンプルとして興味深く読ませてもらった。

 宮沢章夫氏はこの本(東京大学での講義をまとめたもの)で、かつて原宿にあった桑原茂一氏のおしゃれクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」やセゾン文化などの例をあげながら、80年代の終わりによく見られた「80年代はスカだった」的な総括への違和感を表明している。「80年代はスカじゃなかった」と。ぼくも確かにそう思っていた。
 ……しかし読み進めていくにつれて、皮肉にも心の中は「やっぱり80年代って“スカ”なんじゃなかったの?」という、この本が誘導しようとしている方向とは逆の結論でどんどん満たされていくのだった。
 批評家の仲俣暁生氏の感想とちょっと近いけど、80年代の美学は、この本とはもう少し別の場所に(まだ)残されているようにぼくには思えた。

追記(7/25):世代論・年代論(勝手に)リンク
POP2*0:ロック界の「改宗」問題について考える
海難記:ピテカントロプスは「鹿鳴館」だった!?〜宮沢章夫の東大「80年代」講義
nu業務日誌:穴
空中キャンプ:糸井重里と、八十年代消費社会にかんする、きわめて個人的な記憶

仲俣暁生「〈ことば〉の仕事」と世代論

 はてなアンテナ・サーフィン中に偶然発見したnu業務日誌というダイアリーで紹介されていた、仲俣暁生「〈ことば〉の仕事」という本に興味を引かれた。1960年代前半に生まれた、ことばを職業とする著者と同世代の人々へのインタビュー集。
 その日記に引用されていた仲俣氏の

「Aでもない、Bでもない」という状態を肯定することは、たんに非決定を正当化するための身振りではなく、その両者の間をたえず移動しつづけるのだ、という意志の表明なのだ…

という発言も、この本のインタビュイーたちとほぼ同じ「重層的非決定」世代のぼくにはとてもリアルに感じられてしまう。これは決して臆病でも諦観でもなく(たぶん)この世代が、悩みに似た姿で自らの内側に醸成し続けてきた、ひとつの美質にして“覚悟”だと思う。
 
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 というわけで、早速買ってきた。丁寧で読みやすいインタビュー集で、1960年代前半世代の生き方や態度が伝わってくる。ほぼ同世代にあたる自分の今後のあり方についての参考にもなった。
 学者の小熊英二さんの、

〈著述〉をしているというより、〈編集〉をしているという感覚が今も根強いせいか、主役は引用した人たちのほうであって、自分は〈のりしろ〉だと思っているところがある。

というような発言を読んで「デザイン=器」的だなと思ったりとか。
 ここに登場する人々(他にも音楽批評家の佐々木敦さん、サイゾー/インフォバーンの小林弘人さんなど)だけを見て判断するわけにもいかないが、周りを見渡すにつけ、著者があとがき(⇒ネット上で読める別ヴァージョン)でも述べているように、団塊世代やその少し下の先行世代と比べて「わかりにくい」世代なのかもしれないな、とはたしかに思う。

 「季刊・本とコンピュータ」の連載が元になっているためか、コンピュータと各人の仕事との関わりについての言及も多くみられた。
 たぶんぼくの世代が、コンピュータ(マイコン/パソコン/ビデオゲーム)と多感な時期に接触した最初の世代だと思う。YMOと初めて遭遇したのも中学時代。この頃最初の“マイコン”TK-80にも触っていた。友人たちの家にはApple IIやPC-8001があって、よく入り浸ってはBASICのプログラミングやゲームをして遊んだものだった。実際いまでもデザインのことを、コンピュータを使ったゲームみたいにとらえて楽しんでいる部分もある。
 コンピュータがぼくに与えた影響は実はとても大きい。これはこの本の意図とは外れたところでの意外な発見だった。

SOI TRAVEL@渋谷Club Asia

soitravel.jpg 昨夜はSOI MUSIC主催のイベント“SOI TRAVEL”。バンコクからFutonが来日してKiiiiiiiと共演したのが、去年のこととは思えないくらい懐かしい。今年はMOTOCOMPOYMCKが日本から参加、バンコクからは、去年あたりから日本に滞在することの多いJUNEちゃん率いるbear-garden(写真。Kiiiiiiiのu.t.やDJ codomo君が参加)と、スペシャルゲストでFutonのモモコさんが来日。MOTOCOMPOは昔シングルを買った記憶もあり、個人的にはとても懐かしいバンド。元々のレトロなエレポップ風味にここ数年のエレクトロリバイバル以降の音の分厚さが加わった。去年の横浜のSOI Projectの映像に続くモモコさんのステージはたった一人で貫禄があってとてもシンプルで、彼女の持つエネルギーがすべて伝わってくるようだった。強い。モモコさんが去った後の、昨年10月のFAT FESTのどしゃ降りの中でのFutonのライブ映像にも撃たれた。あの日、雨にも負ケズ最後まで会場に残っていたら、こんなすごいパフォーマンスに出会えたんだと思うとちょっと後悔。bear-gardenのステージの照明や演出も含め、手作りの温かさが心地よいイベントだった。松尾スズキさんも観に来ていたそうで。秋に日本のどこかで開かれるSOI企画のイベントに少し関わることになりいまから楽しみ。ほかにもいくつかのプロジェクトの準備のためこの夏は右往左往。

エセコミ38号、出ました。

 THE BOOM/宮沢和史のFC季刊誌エセコミ38号が発行になりました。今回も文字も写真もぎっしり充実している。入会案内と誌面紹介はこちら。>>Works

 今回の表紙写真を撮影したのは増山理人さんというまだ20代の若者。青年海外協力隊としてニカラグアに渡り、厳しい環境の中で暮らすストリート・チルドレンたちに絵や歌を教える仕事をしてきた。彼が教えた「島唄」は子どもたちの人気ソングに。やがて宮沢和史が中南米ツアーでニカラグアを訪れることを知った彼は、「ニカラグアの子どもたちと共に「島唄」を歌ってほしい」という手紙を、ダメ元で日本の事務所宛に送った。その一部始終を写真と共に綴った巻末のレポートも読み応えあり。

 ニカラグア滞在中に撮影した子どもたちの写真に短いコメントを添えて展示した「CORAZON」というタイトルの写真展が、鎌倉のラ・ジュルネできのうまで開かれていた(展示の雰囲気と素敵なレポートがこちらで見られます)。最終日に行なわれたクロージング・パーティーでは、おいしい料理とオープンな雰囲気を堪能した(生演奏をしてくれた月明かり4人組というボサノヴァ・ユニットも素晴らしかった!)。厳しい現実に向き合いつつも週末のサーフィンを楽しみにしていたという増山さんの写真やレポートや生き方から、どんな状況の中でも希望を持ち続けること、状況が良い方向に変わるのを辛抱強く待つこと——常にポジティブで、小さなことにくよくよしない、“希望”と“辛抱”の哲学(これってまさに良い波を待つサーファーに求められる資質では…)みたいなものを学んだ気がする。最近週一ペースで鎌倉・逗子方面に用事があるけど、行くたびにどんどん気持ちが楽天的になっていく。

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