花森安治と「暮しの手帖」展
先週まで世田谷文学館で開かれていた、花森安治と「暮しの手帖」展について。表紙原画や版下など、雑誌「暮しの手帖」にまつわる貴重な品々と、花森安治が手がけた装幀とデザイン、遺品などが展示されていた。花森安治の仕事にはずいぶん前から憧れていて、初期の「暮しの手帖」は何冊か古本屋で買ったのが手元にある。昔のクリエイターの多くがそうだったように、編集長/ライター/アート・ディレクター/デザイナー/イラストレーター…と、一冊の雑誌にまつわるあらゆる仕事を一人でこなしていた。「暮しの手帖」や装幀(花森さん用語でいえば「装釘」)を手がけた本の表紙を見るだけでも、一度たりともマンネリに陥らずいろんなアプローチを試しているのがよくわかった。特に装釘の仕事はアイデアの宝庫。
驚いたのは「暮しの手帖」次号予告の新聞広告版下で、写植の文字がひとつずつ全部カッターで切り貼りされていて、行のセンターがどれも微妙にずれている。DTPでいえば、テキストをそのまま流し込むのではなく、すべてアウトライン化してひとつひとつの文字を動かしているようなもの。新聞広告ひとつに対してこのこだわり。花森さんの伝えたいことは、ここでは一文字ずつ切り貼りせずには伝わらないほどに、通常のフォームからあふれてしまっているのだ。このエネルギーが、編集、企画内容(「商品テスト」など)、デザイン、イラスト、写真…など一冊の雑誌の隅々まで注がれているのだから気が遠くなってしまう。一冊の雑誌が生まれる過程を、こういう展覧会のようにはっきりと目に見える形で見ることができたのはよかったと思う。

展示のラストを飾っていた有名な「見よ ぼくら一銭五厘の旗」(戦時中「一銭五厘」の郵便葉書でいくらでも召集できた取り替え可能な人々=民衆のことを綴った文章)と、遺品として展示されていた孫の陽子ちゃんへの絵手紙には、それぞれ別の意味で花森さんの魂が感じられ、胸が熱くなった。ぼくはいま一応デザインを職業にしているけれど、デザイナーが自分の仕事の終着駅かどうか実際のところまだわからない。だからデザインだけでなくイラストを描いたり写真を撮ったり、時には編集し文章を書いたり…何でもしている。将来はもしかしたらテルミン奏者かダンサーか、あるいは畑作でもしているかもしれない(できればそれらをひとつずつではなく並行してやりたい)。どんな形でもいいから、魂を伝える仕事がしたいといつも思っている。だとしても、花森さんの魂には当分かなわないだろう。
※部数限定の展覧会カタログが、訪れた日には既に売り切れで残念!と思ったら、家にあった「暮しの手帖 保存版III「花森安治」」(暮しの手帖社)というムックが花森さんの作品と思想をわかりやすく伝えていて読み応えありでした(「見よ ぼくら一銭五厘の旗」全文と陽子さんへの絵手紙も収録。上の画像もこの本からの引用です)。書店で買えるようです。

