ラジオ

『Quick Japan』最新号(Vol.63)の特集は「ラジオ」。明石家さんま(ヤングタウン現役DJ)のロングインタビューに始まり、ピストン西沢、モーリー・ロバートソン、桑原茂一、近田春夫、萩本欽一ほか、時代に名を残したDJ/ディレクターの貴重な証言と、著名人の思い出のラジオ番組についてのコメントや密度の濃いコラム、そして最後を佐野元春のロングインタビューで締めるという(いや、片岡義男のエッセイがあった)完璧な内容。小中高大の学生時代を常にラジオとともに過ごしたぼくの、心の片隅に忘れ去られつつある“ラジオ魂”を揺さぶる好企画だった。
歌謡曲のベストテン番組を聞いて順位を毎週ノートに記録するようなマニアックな子どもだったぼくは、正真正銘のラジオ・チルドレンだった。6年生の時、ステレオのある近所の友達の家にみんなで集まって、架空の番組を作ったこともあった(みんなで代わりばんこにDJや選曲をしてそれをテープに録音した)なんてことはあんまり知られていないだろう。AMラジオで聞いてたローカル局(SBS)の夜の電リク番組にはじまり、中学入学時にFM付ラジカセを買ってもらったのを機に、ぼくのラジオの世界はステレオフォニックに広がっていった。洋楽のエアチェック(NHK-FM「クロスオーバーイレブン」やローカルのリクエスト番組)、そして佐野元春や坂本龍一がDJの伝説の番組、NHK-FM「サウンドストリート(サンスト)」がチャートに載ってない音楽をいっぱい教えてくれた。その後も小林克也DJの毎週日曜夜の音楽番組でスクリッティ・ポリッティやプリンス、クレプスキュール・レーベルの新譜をどこよりも早く聞かせてもらったり(英語も克也さんから学んだ)、コッペの「FMスーパーミクスチャー」では屋敷豪太や藤原ヒロシ、工藤昌之(メロン〜ピテカン人脈)のremix(いまでいうMASH-UP)が毎週流され、新しい時代の音に衝撃を感じたものだった。地方の人間にとって、今起こっていることを活字よりもダイレクトに家に届けてくれるラジオは、その当時本当に重要なメディアだった。
そして今、ラジオはどうなっているのか。その後すっかりラジオと疎遠になってしまったぼくには、永年の同僚がディレクターとして作り続けてきた番組「FAR EAST SATELLITE」のことくらいしか思い浮かばない。Kiiiiiiiが毎月レギュラーDJを務める世界で唯一のプログラムだ。

Kiiiiiiiが約二年半前の2003年、“ファテライト”に初めて登場した、その最初の収録に立ち会った日のことはいまでも忘れられない。番組スタッフの当初の要望の水準をはるかに超えて彼女たちが作ってきたのは、全60分にまとめ上げられたパーフェクトなラジオショーの台本だった。それだけでなく、3秒〜1分程度のジングルと効果音も全部自分たちで用意してきた(「Kiiiiiii will rock you」「Kiiiiiii for any occasion…」「Kiiiiiiiding」などジングルが元になって生まれた曲も多い)。ハイスクールの体育館でのライブという設定で行なわれたスタジオ・ライブには、番組の若いスタッフとぼくも「We Are The BAD」のハンドクラッピング役で出演した。Kiiiiiiiの柔軟な発想と脳内データベースの半端じゃない蓄積、それにディレクターとエンジニアがきちんと応えて番組が作られていく様子を目の当たりにして、心から感動した(この日のプログラムは、2003年FAR EAST SATELLITEベスト・プログラム大賞を受賞)。当時はまだKiiiiiiiの魅力をどのように伝えるか試行錯誤していた時期で、今では信じられない話だが、Kiiiiiiiという未知との遭遇にアレルギーを示す人も少なくなかった。そうした人々も含めたぼくの周りのいろんな人に、キラキラボールペンでジャケットを自作した番組のCD-Rを配った。たいていの人は番組を聞いてKiiiiiiiに新たな興味をもってくれて、それがとてもうれしかった(番組第二回のCD-Rのジャケはこちら)。
本当に残念なことに、この「FAR EAST SATELLITE」という番組が諸般の事情により今年いっぱいで終わってしまう。しかしラジオ・チルドレンたちの遺伝子はきっと新たな形で受け継がれていくことだろう。『QJ』の特集を読んで驚いたのは、登場する人々が一様に“ラジオにしかできないこと”を明瞭に意識しそれを進行形で面白がっていることだった。「いまこそラジオだ」と言い切る人も多かった。その力強い言葉の数々を聞いてぼくも安心した。ラジオ魂よ、永遠なれ!





